羅臼町商工会
ホームにもどる
メール送信ボタン
contents1へ
contents2へ
contents3へ
contents4へ
contents5へ


羅臼のご案内
 
らうすの一年
冬から春

流氷

アムール川から流れてきた流氷は知床岬をまわって羅臼へやってくる。回遊するスケソウたらは流氷とともにやってくるプランクトンに導かれ、羅臼へ。

スケソウ漁船にとっては流氷は厄介ものでもあり、恩恵でもある。

シベリアから南下する流氷群は自然の恩恵をもたらしながら ときには容赦ない厳しさを突きつける。
写真のように流氷原にはさまれてもがく僚船を助けあうシーンも。
黒煙を吹き上げ、巨大なディーゼルエンジンが全開になり前進・後退を繰り返す。

上の写真でもわかるように、らうすの流氷は国後島までびっしりと張りつめることもある。

しかし、おおむね「流氷帯」を外れるとこのようにまばらなことが多い。海水面が露出しているから船も出せる。羅臼港が「不凍港」であるゆえん。

羅臼から観光船で流氷ウオッチングを楽しむこともできる。
流氷だけでなく、アザラシやトド、オオワシなどもかなりな確率で観られるだろう。もちろん完全防寒でゆくことをおすすめする。
4月に入ってもこのとおり、流氷は残っている。ただ、厳冬期の勢いはなく「残氷」といった感である。

初夏のような陽気の中で観る流氷、それはそれで味わいのある風景だ。


スケソ漁

羅臼では水平線に沈む太陽を見ることはできない。
僥倖のみである。

かって羅臼はスケソ*景気で沸き返ったことがある。

盛漁期にはスケソに携わる人で通常の人口の倍くらいになり
2ヶ月半少々の期間に120億から150億の水揚げを誇っていた。

それから十数年、過去は蜃気楼と消え、現在スケソ漁に従事し
ている漁業者は息絶え絶えの状況だ。

いっぽう、スケソ漁業者の好景気を横目に無念の涙を堪えこつ
こつと根付漁業に精を出していた漁民の成果が現れだし水揚げ
が安定してきた。

自業自得、敗者は消えろの論理もある。
それではいかにも寂しい。

ずっと昔にニシンの郡来で栄え、ニシンとともに衰退した地方も
あるが羅臼の場合は複合的な資源に恵まれた海域なのである。

恩讐を捨て互いに叡智を出し合えばともに再生、豊かになる道
はある。

だが時を逸すれば日出る国も水平のかなたにやがて藻屑と消
える。


春から夏

知床横断道路の開通

知床横断道路は例年ゴールデンウイークぎりぎり直前に開通する。観光客ならずとも今か今かと開通を待ちわびる。

しかしその除雪作業自体は3月下旬からはじまっているのをご存知だろうか。

巨大な除雪車が10m以上も降り積もった雪をはねとばす。もちろん、除雪車といえども路面の雪しか相手にできない。

斜面に見えるのはなんだろう?そう、人海戦術で斜面の作業に当たるのだ。

雪崩のおきそうな個所を踏み固める作業は非常に危険で、命綱をつけて作業する。

知床峠の雪崩は巨大な除雪車を一段下の道路まで落下させたほど(そのとき操縦者は奇跡的にかすり傷ですんだが)。

命綱をおたがい横一列になるようにつけて踏み固めてゆく。

この知床横断道路は5月から10月一杯までが開通期間だ。半年間の眠りから覚ますための努力がつづく。
このような積雪の深い場所はパワーショベルの出番。 右側に見えるのは羅臼岳。やはりむこうの斜里がわからも除雪をしている。

あと500mほどで知床峠の頂上だ。


峠の除雪

羅臼の一年は生活行動が実に多様である。
年明けとともにスケソ漁が始まり、 1月下旬からはウニ船が流氷を縫い出漁する。
それぞれの加工屋さんも操業を始動、出面さんが働く。
流氷、鷲、動物を撮りに地方から人々が集まり、流氷観光船が忙しくなる。
遊漁船上で食べるスケソ鍋は格別だ。 羅臼のウニの一番美味い時期でもある。

春の遅い羅臼では3月の中旬になると、町民は春を待ちかねるように家の前の氷を割ったり、家の周りの雪だしをはじめる。
今年は道から春クマの駆除許可が出された。 すでに羅臼ではクマが目撃されている。

3月下旬から知床峠の除雪が始まる。

峠を斜里側と羅臼側から網走開建・釧路開建とそれぞれの側から進む。
難所の多い羅臼側からの除雪は合流点の頂上に達するのが遅くなり、最後は両開建の力を合わせての除雪となる。
漁期の狭間となるこの時期の除雪作業は羅臼の漁師の良いアルバイトでもある。

寄稿:石見公夫


(*スケソ=スケソウダラ・助惣鱈)





  Copyright (C) 2002 Rausu-cho-Shokokai. All rights reserved.